
能登国分寺が、栄えていた頃、大勢のお坊さんが、能登国分寺で修行していました。
その中で、能登の陽勝(ようしょう)というお坊さんは、偉くなって比叡山にあがり、大僧正になりました。
能登の陽勝は、さらに、仏法を修行するため、大和の吉野山にこもりました。
そして、一日に一粒ずつ、お米を食べ、四万六千日の修行をしました。
それは、百二十六年かかって、お米一升を食べたことになります。
そして、能登の陽勝は、とうとう、仙人になってしまいました。
仙人になると、不老不死、空中水中を自由に行き来できます。
能登の陽勝は、神通力(超能力)で、多くの困った人たちを助けました。
それで、『米の仙人』といわれて、たいへん有名になりました。
ある時、空を飛んでいた『米の仙人』は、下界の若い女性に、みとれて油断をしました。
そして、地上に落ちてしまいました。神通力を失った仙人は、また、修行をやり直しました。
今度は、千人力をえました。そして、都をつくるための材木を、全部一人で運んだそうです。
その後、『米の仙人』は、都のそばに、大きな寺を建てて、人々に尽くしたそうです。