第四十話 三ケ村の池と大太鼓

八田の奥山に、「三ケ村の池」といって、二つの大池が、二段になっている。

「三ケ村」というのは、「八田と国下、中挟」をいう。
「三ケ村」は、この池の水で、それそれの田んぼの用水をまかなっていた。

池は、八田の奧山というが、本当は多根コロサと江曽、八田の境にある。

昔々、三ケ村で、「ここに、池を作ろう。」という話が持ち上がった。

江曽でも、「同じところに、池を作ろう。」という話が出ていた。そこで、三ケ村の代表の人たちが、江曽村に協力を掛け合った。

「江曽では、三ヶ村ほと、用水に不足はなかったけれど、二つ返事に、承知ともいかず、江曽の衆は、一計を案じた。

その頃、八田の寺に、自慢の大太鼓があった。その一つを江曽の寺へ譲って欲しいともうし入れた。
そこで、三ケ村では大方が、八田の寺の門徒であったので、池作りを承知してもらった。

それから、奥山の池もりっぱにできあがり、三が村の田んぼに、十分と水を行き渡らせた。

また、一方の江曽の村では、ことあるごとに、その大太鼓を打ちならして、村の役に立ったという。  

  • URLをコピーしました!