
明治二十五年生まれの「杉森志げさん」が、子どもの頃を、思い出しで、こんな話をしてくれました。
『千野の上出に、兵五郎屋敷というところがあったわいね。
そこに、小高い築山が、あったわいね。今、まわりは、田んぼになっとるけど、その頃は、築山が、ふたつあったがいね。
子どもの頃、あそこで、よう、遊んだわいね。よう、あの石の上で、てまりやら、しっちょこをしたもんやね。
まわりは、 藪みたいになっとってね。秋になると、べ-ずる(むべ)がなってね。欲しくて欲しくて、どんならんだ。
そしたら、大人のもんなあ、とってもいいけど、落ちんとかなあと言うてね…。よく、その築山のまわりを見ると、ボッカリと穴があいとってね。恐る恐る、中をのぞくと、 けっこう、奥行きがあってね。こうもりが、住みついとって、薄気味悪いところやったど…、こうもりをつかめに、子どもが、よう来とった。
そこは、昔、この中に“さむらい“が、隠れとったところや聞かさされたもんや。
ほんとうに、でっかい石ばっかりで、組んだ穴やったね。なんで、こんなでっかい石があるがんか、不思議やったね。
そうやね、 明治三十三年頃やったかね。在所総出で、その石を、てこやころで引っ張って、正福院や宮(妙到白石神社)まで、持っていったげんね。
今、寺や宮へ行くと、 大きな手洗い石あるやろいね。あれが、そうやがいね。
そういう訳で、二つあったといわれる千野古墳は、現在の一つになったのです。
しつちょこ =おじゃみ
べーずる(むベ)=アケビの種
どんならんだ =がまんできなかった
つかめに =捕まえに
よう来とった =よく、きていた