
院内の四ヶ村祭の神さんは、八幡様で、鎌倉の八幡宮の分身を、お請け申して、まつられたものである。
その昔、白馬村の「とびすけ」さん、下村の「もっとも」さん、飯川村能登坂の「ひちりよも」さん、若林村荒牧の「へよぅよも」さんの四人がはるばる、鎌倉まで出向いて、 鶴ヶ岡八幡宮の分身を、お請け申して、今の院内の若宮に、ましましたのが、始まりだそうな。
以後、 毎年の祭礼には、、この四人は、乗馬で神主さんと共に、お供をし、御輿は、四人の私宅へも、お巡りになったそうな。
四ケ村祭は、年とともに変わり、現在、簡素になっている。
また、順路も、相当、変わってきていて、若林の荒牧に(現在、踊り揚となっているところに)、当時は、露天に莚を敷いて、御輿を招待していたそうな。
この四人の人は、 神さんをお請けしてきた功績か、それとも、別の意味か、はっきりしないが、笛字が許されていたという。