
下町の御陣屋(ごじんや)の付近に、『きつね塚』という、小さな塚があります。
その昔、村の人々の楽しみは、草相撲を見ることでした。どの相撲場にも、たくさん見物人が、つめよっていました。
そのうち、大へん強い力士が現れました。
その力士は、羽咋の相撲大会に勝ちました。そして、奥能登の大会にも、勝ちました。 しかし、その強い力士は、決していばることもなく、ただ、「わしや、下村の寺田でごさいます」と名のるだけでした。
そして、徳田の大会にだけは、一度も出たことかありませんでした。
やがて、「下村の寺田が出る。」という、うわさが流れると、「その強い力士を、一目見たいものだ。」と、ますます多くの人が、集まるようになりました。
「わあ、また勝たぞ。下村の寺田は、ほんとに強いわい。」「勝っても、いばらんとこがいいわい」と、寺田のにん気は、高まるばかりでした。
人々は、我が子とのように、喜んで寺田を応援しました。
そのうちに、人々は「寺田という力士は、どんなとこに住んどるんやろ。是非、いっぺん、その家を見たいもんや。」といって、羽昨や奥能登から、わさわさ訪ねてくるようになりました。
「あのう、相撲とりの寺田さんの家は、どこでしようか。」 「いや、下村には、寺田という家はないがいね。
そういえぱ、前にも、 訪ねてき人がいたが…、寺田さんって、どんな人かいね…。」「これこれ、しかじかで「いや、おかしいね…。」
下村の人たちは、訪ねてきた人々の話を聞いてびっくりしました。
下村の人たちは、今までに寺田という人を見たこともなく、そんな家も見たこともなかったのです。
「そういえぱ、御陣屋のところに、小さな祠(ほこら)があるでしよう。あそこに、『きつね』か棲んでいるといううわさですよ。」 「下村の寺田というのは、あの祠に棲んでいる『きつね』のことではないか。」と、そんなうわさがささやかれるようになりました。
また、その祠を『相撲とりのきつね様』と呼んで、大事にしたということです。