
戦時中の話てす。当時の役場か区長さんにいわれて、山へ松の根を掘りに行ったことが、三回ほどあります。
各班ごとに、今日は一班、一週間後には二班といったように、計画をてて、どの班ももれなく、松の根を掘りに行きました。
朝早くから、荷車を引いて山へ行きました。私は、どれが松の根っこかわからなかった。
きそベさのお父っちゃん、忠助さん、よさぶのおじいさん、その他元気な男たちは、一生懸命に松の根を掘り起こしました。
私たち女は、それを山から荷車まで運ふ役でした。
一日もすれば、荷車いっはいになりました。しかし、飯川だけでなしに、他の町の人たちも掘りに行くわけで、 そんなに簡単に松の根があるわけでなく、さがすのに大へん苦労しました。
飯川の山、江曽山、五箇山(ごかやま)へも行きました。私たちは行かなかったが、他の班で、コロサの山まて行ったと話に聞いたことがあります。
掘り起こした松の根は、飯川の公民館の空き地に山積みにしてありました。
一回だけだが、油炊きにいっだことがあります。
今の八幡の駐在所のところに、各在所から集められた松の根が、山もりに積んであり、その向かいに小屋がありました。小屋の中には、大釜があって、大釜のまわり一面油でベタベタでしだ。
私は、都会から疎開(そかい)しておいてた前田さんと二人組で行きました。そして、一日中、火の番をしていました。
男のが二人いて、一人は、松の根っこを割って細くし、もう一人は、大釜から油を取り出していました。
私たちは、細かくなった松の根っこを大釜に入れ、時々入れかえ、一日中、焚いていました。真っ黒なコ—ルタ—ルのような油が、大釜から少しずつ出ていたのを覚えています。