
そこなしの池(またの名、釣鐘池)のあたりに、昔、「金剛坊、融福院」という、寺がありました。
いつの時代か、大いに栄えていたらしいという。
ところが、戦国時代、上杉勢が、城山を攻めに来たとき、行き帰りか、能登坂付近の戦いがありました。
その戦いで、それらの寺々が、灰燼となりました。
その時、奇特で大力持ちの坊さんが、この寺の釣鐘を付近の池へ放り込んだとの言い伝えがあります。
その後、いつの時代か、村の若い衆が、その釣鐘を引き上げようと思って、その池を掘ってみました。
しかし、どれだけ掘っても,釣鐘が出ないので、泥水ばかりでした。
更に、掘っていくと、水が湧くばかりでした。それから、この池を「そこなしの池(底無しの池)」という名がついたといいます。
その池は、現在、「菊理姫神社」の裏にあります。