
昔、若林に、権右衝門という百姓が住んでいた。 代々、肝煎(きもいり)役をつとめ、家は大へん栄えていた。また、その屋敷の中には、大きな「よのめの木」が、屋數を見下ろすようにはえていた その木の上から、時々、天拘の鳴らす太鼓の音が、遠くまで聞こえたという。
権右衛門の家にたくさんの奉公人が働いていた。その中に「じょんこ」という大へん正直な下男(げなん)がいた。
ある夜、『じょんこ』が、下男の部屋で寝ていると、夢の中に白装束(しろしょうそく)の天拘か現れて、「私は、この屋敷のよのめの木に樓む天拘であるが、この家を焼いて、もっとよいところへ移ることにしたい。」と、いって消えた。
『じょんこ』は、驚いてはね起き、さっそく、このことを主人の権右衛門に告けた。
そこで、権右衛門は、朝になると、村中の人たちを集めて、『じょんこ』の夢をみんなに語り、「わしの家を、みんなで守ってほしい。」と、たのんだ。
そこで、 村人たちは、権右衛門さんの屋數を守る方法について相談をはじめた。
そして、在所の川から、権右衛門の屋敷まで、みんなで力をあわせて、地面を堀り新しい川を造成した。
万が一、火が出ても、いつでも水が、いっばい流れているようにした。また、長桶(ちょうけ)やたらいに、水をいっはいにはって、家のまわりにずらりと並べた。
また、権右衛門はじめ、奉公人たは、火を決して租末にしないよように気をくばった。
すると幾日かたって、ある夜 『じょんこ』が、いつものように寝ていると、再び、白装束の天狗が、夢の中に現れて「わたしは、この家を焼こうと思ったが、みんなの信仰心が厚いので、どうしても火をつけることができず、困ったことになった。わたしは、みんなに負けたから、これからは、火の宮の森へ移ることにする。」と、いった。
そして、権右衛門の屋散を飛びたち、火の宮にそびえる大杉のこずえへ飛び去った。
それっきり、権右衛門の家は、焼けなかったという。
火の宮は、今も、在江(あるえ)の宮として残っている。しかし、天狗が棲んでいたという大杉は、風に倒れてしまって今はもうない。
まだ、権右衛門の子孫は、今も栄えているが、「よのめの木」は、枯れてしまって、今はないという。