
一、亀に乗ってきた神様
千野町の妙翗白石神社が、合祀されるずっと音の話です。
妙靱神社の神様は、亀に乗っておいでになったといいます。その時乗ってきだ亀を放養した池を、「亀田」といい、今も神社の後ろに残されています。
私らが子どもの頃、丘陵に沿って幅10間、 長さ60間ほどの間に、湿田を挟んで「トプッキ原」と呼ぶ沼がありました。おそらく、この沼を指すのでしょう。
雑草が茂る中に、ところどころ井戸跡のような穴がありました。
私らガキ大将たちは、長さ二間ほどの竹竿を持っていって、「その穴を突くと、ウナギが出る。」といって突いたものでした。
ところが、ウナギが出るどころか、竹竿が底まで届かなかったのです。ほんとうに深い穴でした。
それを見ていた大人の人たちから、「あぶない」といって、ひどく叱られたものでしだ。
残念なことに、昭和四十二年、七尾市が誘致した会社の敷地造成のため、この「亀田」は、消えてしまいました。
二、光る神宝
昔、妙靱神社は、七尾の方へ向いていました。神社の森は、うっそうとしていましたが、社務所の後ろに、とりわけ大きな松の木がありました。
その松の木は、浜からも見えたといいます。海が、千野の方まで入っていた頃でした。
ある船頭が、この松の木を目印にして、千野へ向かっていました。ところが、神社から出る光がまぶしくて、船をなかなか入れることができませんでした。
それは、「神宝の妙靱」が放つ光でしだ。これでは、船の出入りに差し支えるというので、神社の向きを、くるりと今の向きに変えることになりました。
棟札によると、神社の建立は、元禄七年とありますから、このころ、向きを変えたと思われます。